抑止力を高めるとは武器を捨てること
(写真は22年11月3日扇町公園 「輝け憲法」集会 オープニング時)
先日テレビで自衛隊員が訓練の厳しさについてのインタビューを受けていたのですが、その若い隊員が「ハイ、しかし戦争になればもっと厳しいと思います・・・頑張ります」と平然と言ったのには驚きました。
「チョット待ってよ、日本は戦争放棄やで、永久にしないんやで」と心の中で叫んでいました。公務員たる自衛官が公然と憲法違反の発言をしたのです。これは単なる失言では済まされない、懲戒処分ものではないかとも思いました。
しかしこの若い隊員だけを責めるのもどうかと思いました。と言うのも最近の日本政府は、ロシアのウクライナ侵攻、中国と台湾の緊張関係そして共和国(北朝鮮)のミサイル発射などを引き合いに出し「我が国を取り巻く厳しい環境の変化を考えると・・」なるお決まりのフレーズを持ち出し、防衛力の強化を主張する動きが増しています。
軍隊を持たないこの国の防衛費を対GDP2%にあげて世界第三位の軍事大国にするとか、敵基地先制攻撃(攻撃される前にこちらから攻撃する)など憲法を全く無視した恐ろしい暴言がまかり通っています。
政府はそれらを「抑止力」というくくりで正当化しているのですが、防衛力を高めることが本当に抑止力を高めることになるのでしょうか。それにより他国はことさら危機を感じて余計に攻撃的になるのは必然です。
例えば共和国(北朝鮮)がミサイル発射を続け、金正恩は強気な言動を繰り返していますが、内実は日米韓による共同演習の強化に強い恐怖を抱いているのだと思います。
また中国をにらみ、琉球弧の島々を軍事基地に変え、一触即発の緊張関係になっています。安倍政権以降、安保関連法以降その流れは増々強まっています。
このようなむき出しの戦争政治に私たちは沈黙していてはなりません。この流れに抗し、今こそ「武器を捨てることが一番の抑止力になる」と声を上げましょう。こう主張すると「そんなことして他国からミサイルをぶち込まれたらどう責任をとるんだ」「軍事力の裏付けのない外交はない」などの「反論」が出てくるでしょう。しかししかしどんな困難が待ち受けていようとも「軍事力を伴わない外交努力」を追求しなければ、また過ちを繰り返すことになります。「過ちは繰り返しませぬから」と原爆碑に誓った私たちの責任は重大です。
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