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2017年9月27日 (水)

「旧真田山陸軍墓地」訪問記

Photo_11 (軍役夫や俘虜のお墓群 この一角だけなぜか、お墓の向きが違う)


 昨年9月に訪問した「旧真田山陸軍墓地」、そのときは30分ほどしか時間がとれず、墓石や石碑を見学出来なかったので「近いうちに再度お伺いします」と言って失礼しました。それから1年、この9月23日にやっと実現しました。今回も案内役は「保存を考える会」の吉岡武さん(80歳)です。

日本で最初の陸軍墓地


 まず事務所で、何故この地が1871年(明4)陸軍墓地になったのかの説明を聞きました。幕末のペリー来航で開国を迫られ無理やり開国させられた日本は「国を守る」ため陸軍を創設する必要を感じました。それで大阪城を中心に兵学校や病院などが造られました。
そして想定される戦没者を埋葬する場所として、この真田山が日本で最初に選ばれたとのことでした。

 その後全国に約80ヶ所にも及ぶ陸軍墓地が造られました。そして西南戦争、日清、日露そして第一次、第二次大戦を経て、この真田山だけでも5091基以上の墓碑が建立されているそうです。

様々な墓石


 そしてこの後墓地に入って見学したのですが、この日はやや曇り空で暑くもなく寒くもなく高齢の(?)私たちにはちょうど良い天候でした。

 墓地は9つのゾーンと納骨堂に分かれており(事務所と集会場は除く)将校、軍医、下士官、兵卒の階級の差により小さなものから巨大なものまで様々な形状の墓石がありました。ただ日露戦争では戦没者の数が桁違いに増えたため個人墓碑が立てられず、合葬墓碑となりこれ以降外地での戦没者の個人墓碑は原則建てられていないとのことです。(満州「事変」の合葬墓碑もありました)

 また兵隊だけでなく、軍役夫や民間人、病死者(コレラが猛威を振るった)そしてドイツや清国の俘虜の人の墓石もありました。

人目もはばからず号泣

 その小さな墓石のひとつに「河村清三」という方の名前があり、調査するとあの落語家の桂文枝師匠(元三枝)の父親であることが判り、彼(本名河村静也)もそれを知って墓参りに駆けつけたそうです。そして納骨堂の中の父親の骨壷と対面すると人目もはばからず号泣したとのことでした。彼は1943年生まれ、生後11ヶ月で死別したので父親の記憶はほとんどなく、戦後母親とともに苦労を重ねて少年期を過ごしました。それが父親の骨壷を前にして苦労した当時を思い出したのでしょうか。外にまで響き渡るほど大声で泣いていたとのことでした。吉岡さんからこの話を聞くと私も思わずもらい泣きしました。

東京から鶴橋へ!

 さて途中で気がついたのですが、私たちのグループにいつからか親子連れらしい若い3名が加わっていました。聞けば東京から連休を利用してなんと鶴橋に焼肉を食べに来たとのこと、その前にこの墓地の見学を思いついたという次第でした。SNSなどの普及で詳しい情報が簡単に入手でき、黒門市場などでも世界中の観光客で賑わっていますが、その一端を見た思いがしました。

 そして私たちと共に最後まで真剣に吉岡さんの話に聞き入り、丁寧に挨拶をして鶴橋に向いました。きっとおいしい焼肉をゲットしたことでしょう。

史実を正確に

 私は以前から「陸軍墓地」といえば、戦没者を「顕彰」する施設だというあまり良いイメージはなかったのですが、吉岡さんのように自身も空襲や機銃掃射を受け、戦後も様々なつらい光景を目の当たりにし「二度と戦争はしてはならない」と強く思っておられる方が「語り部」として存在する限り、この墓地を訪れる人々が史実を正確に見つめなおすことが出来ると確信しました。吉岡さんこれからもお元気でご活躍下さい。

 「玉音放送の夜、裸電球が点けられた。本当にうれしかった」(吉岡さん)

                                             (会員 Y)


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三光神社を通って陸軍墓地へ

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空襲で破壊された鳥居。後ろに戦後建てられた鳥居がある

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草創期の墓碑群。上部が丸みを帯びたかまぼこ型

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1トン爆弾が落ちて倒れて散らばっていた墓を戦後一カ所にまとめた

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一つの村で集まって建てられたお墓もある。同じ村同士、寂しくないように向かい合っている

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昭和の墓碑群

お参りに来られた方は、隣のお墓にも線香を手向けていかれるそう

身内の方も年をとってだんだん参拝者が減っているから

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納骨堂入口

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一見、緑青がふいた銅製の扉。実は木製の扉の表面にブリキを張り

木の半球状の装飾をつけて、緑青の色を塗ったもの。

1942年に出された陸軍通達により物資を節減したため。


Photo_22

天井まで届く納骨棚

物資不足で大黒柱がなかったため、壁一面に天井まで届く納骨棚を作った。

(写真説明 会員N)

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