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2015年7月16日 (木)

フィールドワーク ― 丹波マンガン記念館

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 快晴の7月12日、久しぶりにフィールドワークを行いました。今回は京都府にある「丹波マンガン記念館」です。現在は京都市右京区に編入されていますが、以前は北桑田郡京北町という名神京都南インターから車で国道162号を北へ1時間余りの静かな土地でした。記念館の場所が国道の道路標識に表示されていなかったので(後述)少し道を間違えましたが何とか到着しました。

俺たちの墓

 開館は1989年5月1日(運営難から2009年に一度閉館しましたが、現地の皆さんの努力で2012年5月に再び開館されました)。初代館長は在日朝鮮人二世の李貞鎬(リ・ジョンホ)さん。李さんは戦後直後から父や叔父さんに伴われて坑夫となり働き続けました。そして他の同胞と同じように「じん肺」を患い、1995年63歳で逝去されました。生前彼は「俺たち鉱山で酷使された朝鮮・韓国人には墓がない。この記念館は俺たちの墓だ」と語っていました。
[差別する行政]
 この記念館の建設、管理にあたっては行政に支援を求めたのですが、当時の京北町長は「部落民や朝鮮人の働いた歴史など暗いイメージで町のイメージが悪くなる」と支援どころか妨害までしたそうです。担当職員も「日本人なら・・」と差別的な応対に終始したとのことです。それで今日になっても道路標識に場所案内がないのです。(ヤフーの地図には載っているのに!)それでやむを得ず自費で数ヶ所に案内看板が立てられていました。
 歴史事実と真正面から向き合う努力を怠り、「臭いものにフタ」で不都合なことから目をそらす、まさに「従軍慰安婦問題」に通じる行政の不誠実極まる対応が表れています。

鋼鉄の必需品

 さて当地でのマンガン採掘は1896年頃から開始され、1983年頃まで約90年間続きました。最盛期は軍事物資として必要とされた第二次大戦中と高度経済成長期の1950~70年で約300ヶ所の鉱山で採掘されていました。しかし1983年以降は安価な輸入品(主に南アフリカ)に押され、次々と閉山に追い込まれて今日に至っています。
 一般に「マンガン」と聞けば乾電池(昔はマッチ)を思い出しますが、その他に陶磁器につけるゆう薬やガラスの着色などに利用されています。しかし何といっても鉄との関係です。鋼鉄の材質を決めるのはまず炭素の含有量と焼入れ技術ですが、マンガンは硬くて強靭な鋼鉄を製造するには必需品で、それで第二次大戦中は重火器製造に大量に必要としたのです。

危険な作業は朝鮮人

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 私たちはまず「飯場」を見学しました。そこは狭い板張りの部屋に何所帯もの朝鮮人が寝泊りし、食事も立ったままだったとのことでした。壁も隙間だらけの薄い板切れ1枚で冬はどんなに寒かったことでしょうか。

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その後「川端大切坑」と呼ばれる入口から入坑しました。見学者のために約300mにわたり歩いて通れるようにしてあったのですが、この改造工事に20年の月日が費やされたとのことです。実際は落盤を避けるため「たぬき堀」と呼ばれ身体がかろうじて入れるぐらいの小さな坑道を這いつくばって掘り続けたとのことです。そして70㎏を担いで外に出て、それを一人で300㎏を5時間かけて集積場まで運びました。(「ポッカ」と呼ばれた)これらの過酷労働は多くの朝鮮人、部落民が担っていました。

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 約30分ひんやりとした坑内を説明板とそれぞれの作業を再現したマネキンを見ながら歩きましたが、自然に出来た洞窟とは違い「ほんまにこれ人が掘ったのか!」と驚くことの連続でした。

強制連行は歴史事実

 続いて資料館に入りました。そこにはこの仕事に従事させられた皆さんの写真と実際に使われた工具などが展示されていました。それらを見ていると、過酷な労働と「じん肺」という不治の病を強制されながらも懸命に生き抜いた人々に思いを馳せざるを得ませんでした。
 日本は1910年日韓併合を強行し、朝鮮の山林や土地を次々と接収しました。その結果自分の故郷で生活できなくなった多くの朝鮮の人々は海を渡るしかなかったのです。そして待ち受けていたのが過酷労働で、その典型がこの鉱山労働でした。(女子はあの「女工哀史」で知られる紡績工場等、そして性奴隷!)また田畑を持たない地元の被差別部落民も同じ選択肢しかなかったのです。そして戦況が激化するにつれて労働力不足を補うため「強制連行」が頻繁に実施されました。「強制ではない、募集で彼らの意思で来た」などと言う日本人もいますが、事実は募集に応じなければ憲兵による家族への拷問が待ち受けており、募集に応じるしかなかったのです。間違いなく「強制連行」だったのです。

もっと歴史事実を学びたい

 私がこの記念館の存在を知ったのはほんの1年前です。この年齢(66歳)になってもまだまだ知らない現代史があるのでしょう。とりわけ日本の加害事実は意図的に隠蔽される傾向が年々強まっているので(「ピースおおさか」から加害の展示が消えた!)知る機会は限られていますが、もっともっと歴史事実を学びたいと思っています。これからも多くの皆さんの協力を得てフィールドワークを続けたいと考えています。(会員 Y)

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