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2012年11月 8日 (木)

第三回戦跡めぐり 続き

 安治川トンネルから今度は歩いて、安治川埠頭へ。けっこう距離がありました。安治川は川幅が拡幅されていて、戦時とは様相が違っています。それで、強制連行され強制労働を強いられた方々が有元さんたちの案内でこの地を訪れても「分からない」といわれるそうです。
 写真の真ん中辺りから左は元は地面だったのに、海の底に沈んでいるそうですので、想像しながらお話を聞いたのでした。ところでこの工事を担当されたのは他ならぬ有元さんで、埠頭のコンクリート地面のつなぎ目に穴が開いているのは波が来たときの逃げ道だという興味深いお話も伺いました。

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次は弁天町へ。途中、参加者の1人が解雇され争議中である松浦診療所に寄りました。労働者医療機関として設立されたにもかかわらず、変質した経営について簡単に当事者から説明がありました。

Pa0_0001_2  このあと、オークで各自お店に入ってお昼を食べた後、市バスに乗って一気に大阪港へ。

天保山公園で最初に向かったのは獣魂碑です。今も花が添えられきれいに清掃されています。下は説明を聞く参加者のみなさん。

2012jyukonhi2 2012jyukonhi ↓獣魂碑です                

大阪港からは戦争中、食糧や武器などが輸送されたわけですが、動物の毛皮なども防寒のために送られました。そのため数多くの動物が犠牲になりました。その霊を鎮めるために建てられたのが獣魂碑です。
でも、犠牲になった人間の碑はないんですよね。

 それから、日本一低い山、天保山の頂上(標高4.5m)へ。その直近に明治天皇が軍艦を見たという碑が建てられています。「明治天皇観艦之所碑」というもので、戊辰戦争中に行われました。

当時、天皇の権威を知らしむべく日本のあちこちでこのようなことが行われたそうです。ちなみに、このころの明治天皇はまだ幼く、日本人の意識としても「天皇ってなに?」という状態だったと何かの本で読んだ記憶があります。徳川時代が長かったですからね。でも、建立されたのは一九二九年(昭和四年)なんですよ。四月には共産党一斉検挙(四・一六事件)、十月にはニューヨークで株価が暴落、世界大恐慌の引き金になりました。

2012kinen1 最後は「日中友好 彰往察来」の碑の前で記念撮影。「彰往察来」とは過去を明らかにし未来を察するという意味です。碑文には―

「先の戦争において、たとえ戦時下という異常な状況の中とはいえ、多くの中国人が日本国内の鉱山や港湾などにおいて、厳しい労務の中で多くの苦難を与えられました。
 
ここ大阪においても、『日本へ強制連行され、大阪で港の荷役を強いられた。』といった体験者の証言もあり、また、「華人労務者就労事情調査報告書」(外務省報告書)において、千人を超える中国人のうち八十人を超える方が、港湾荷役労務などの中で、再び祖国へ帰ることなく亡くなっていることが明らかになりました。

 われわれが心に深く刻み付けて忘れてはならないことは、過去の歴史を教訓として学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 この歴史的事実を厳粛に受け止めて、戦争の悲惨さを語り継ぎ、国籍・民族・文化等の違いを超えた相互理解と友好を深め、永遠の世界平和を心から願う気持ちを込めて、ここに日中友好の記念碑を設置します。」と書かれています。

二度とこのような加害の歴史をくりかえしたくないですね。

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