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2011年11月 1日 (火)

大阪城周辺戦跡めぐり①

 10月30日、有元幹明さんに案内していただいて、大阪城周辺の戦跡を回ってきました。有元さんはピースおおさか(大阪国際平和センター)元事務局長です。

二度と戦争を繰り返さないためには、どのようにして戦争状態入っていったのか、戦争中はどのような暮らしだったのか、どんな被害を受けたのか、また、アジアの人々にはどんな害を加えたのか学習しなければなりません。

 昨年は大阪港(築港)周辺を回りました。今年は大阪城周辺ということで、京橋からスタートです。

111030kyoubasiirei 環状線京橋南口の改札を出て右に回ると「環状線京橋駅爆撃被災者慰霊碑」があります。

敗戦前日の1945年8月14日にB29148機が大阪砲兵工舎に集中爆撃を加え、その流れ玉(1t爆弾4発)が京橋駅に落ちました。その内1発は片町線ホームに。

電車には避難しようと多数の乗客が乗っていました。名前のわかった犠牲者は210人。無縁仏となった人々は500人とも600人とも言われています。

あたりはたちまち地獄のようになり、あまりの惨状を見て、ショックを受けた大東市の森本栄一郎氏が私財を投じて立てたもので、今でも毎年8月14日には慰霊祭が行われています。いつまでも遺しておいていただきたいものです。

有元さんに資料として頂いた1990年3月13日の朝日新聞の記事の一部をご紹介しましょう。

『話せば気持ち逆戻り』

 B29の爆音が消えた。防空壕から出ると、そばの瓦礫の下から白い腕が突き出ていた。小刻みに震えている。「ねえちゃん」。腕をギュッとつかまれた。老人だった。名前と住所を告げ「わしがここにいることを家族に伝えてくれ」とだけ言った。息が切れかかっていた。ただ怖かった。目をつぶって、その場から逃げ出した。敗戦前日の8月14日、学徒動員先の京橋駅で空襲にあった山崎稲子さん(60)は、今でも思い出すたびに胸がつまる。

有元さんは山崎さんに語り部になっていただいたそうですが、その山崎さんも今は故人になられました。しかし、そのときの体験を描いた絵がピースおおさかに展示されています。

日本は8月14日、ドイツは5月7日に大空襲を受けていますが、これには意味があります。

ともに無条件降伏の1日前ということです。

もう戦力はないということを知った上で、無条件降伏を引き出すために、こういうことをやったのです。

戦争とはなんと無慈悲で酷いものでしょうか。(次は砲兵工廠荷揚げ門です)

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